吉野川のやな漁
                                 御勢 久右衛門

 古代の五條人々は、魚(さかな)の生産力が極めて高い吉野川のほとりで漁労を中心に
豊かな生活文化を築きながら暮らしていました。
 『古事記』と『日本書紀』にはわが国最古の史書で、この書物の神武記の最初に出てく
る地名が五條の阿田です。
『古事記』には、「吉野川の河尻(じり)に至りし時、梁(やな)をうちて魚を取る人あ
り。天ツ神、汝(なんじ)は誰ぞと問いければ、僕(あ)は国ツ神、名は贅持(にへもつ)
の子、阿田の鵜孝部(うかいべ)の祖なり」と書かれています。また、『日本書紀』には、
「川にそって西のかたに行くに及びて、梁をうちて魚を取る者有り。天皇問いたまう。答
えて日(い)わく、臣はこれ互担(にへもつ)の子なり」と述べています。にへもつとは、
川魚漁業を生業(なりわい)とする人々の呼び名です。
 ここでいう吉野川の河尻とは、現在の阿田から下流の宇智(内(うち))、宇野(鵜野)、
五條、二見あたりまでの広い範囲を指しています。
 この川筋には梁の設置に適した地形が多く、それを利用して、竹を並べた大きな簀(す)
を掛け、ここに落ちてくる水をこして、簀の上に残る魚を捕らえる装置が梁なのです。
 日差しが短くなり、秋が近づく9月ごろから落ちアユの季節が始まります。成熟したア
ユたちは適度の増水があれば、一度に100キロ余りも梁に落ち込み、まさに一獲千金と
いうことになります。梁で捕獲される主な魚はアユ(吉野川から、青から桜アユと呼ばれ
ています。)で、ウナギ、ウグイなども捕獲されています。
 現在、吉野川筋には大規模な梁漁も、簡単で一時的な梁も見られなくなりました。かつ
て、吉野川の川筋には、落ちアユを捕るためにたくさんの梁場がありました。今でもその
名残として、ヤナセ、ヤナバ、ヤナノシタなどの地名が残っています。
 吉野川には梁漁以外にも筌漁(もんどり)、鵜飼(うかい)、松明(たいまつ)を用い
る火振り網漁、中でも船からこぶし大の石を投げ込み、アユを追いつめてすばやく網をう
つ勇壮な“まきかわ”漁法は、吉野川独特のアユ漁法です。漁獲されたアユは京都の仙洞
御所(上皇の御所)に献上されていました。これらの漁法は、人と魚の知恵くらべの中か
ら魚類の生態を考慮をして考案された吉野川独特のユニークな漁法でしたが、年と共に忘
却されようとしています。